<赤い靴の知識>
2007/05/08 日記<赤い靴>
赤い靴
Image:Akaikutsu_statue_Nihondaira.jpg|thumb|160px|日本平の母子像
童謡『赤い靴』(あかいくつ)は、1922年(大正11年)野口雨情作詞・本居長世作曲で発表された。
概要
歌詞は、実話を題材にして書かれたと言われている。静岡県静岡市清水区宮加三(旧・清水市、旧・有渡郡不二見村)出身の岩崎かよの娘・きみ(1902年(明治35年)7月15日 - 1911年(明治44年)9月15日)がそのモデルである。岩崎かよは未婚の母としてきみを育てていたが、のちに知り合いである鈴木志郎と再婚をする。そして、きみが3歳の時、当時開拓地として注目されていた北海道の開拓農場へ入植する。しかし、開拓生活の厳しさもあり、かよは娘・きみの養育を函館の教会で知り合ったアメリカ合衆国|アメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に養女として託すことにする。やがてヒュエット夫妻は本国に帰る事になるが、その時きみは結核に冒されており、アメリカに連れて行く事が出来ず、そのまま東京・麻布の孤児院に預けられてしまう。きみは孤児院の中で母親に会うこともできず異境の地で9歳で亡くなったという。母親のかよにはヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったという事実しか聞かされておらず、日本で結核で亡くなったことは知らされないままかよは生涯を過ごした。この哀しい物語をモチーフにして野口雨情が作詞したのが童謡『赤い靴』と言われている。
像
麻布十番の広場パティオ十番にはhttp://jin3.jp/kimi/kimi.html
「きみちゃん」の像がある。
歌詞
:赤い靴(くつ) はいてた 女の子
:異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった:横浜の 埠頭(はとば)から 船に乗って
:異人さんに つれられて 行っちゃった:今では 青い目に なっちゃって
:異人さんの お国に いるんだろう:赤い靴 見るたび 考える
:異人さんに 逢(あ)うたび 考える
ヨコハマカーニバル
よさこい祭りの一種、赤い靴のメロディーを入れる、鳴子を持って踊る、以外は、衣装、化粧、アレンジも全く自由。8月中旬に横浜市中心部で開催。
その他
歌詞の中に出てくる、「いじんさん」というのは幕末から明治にかけてよく使われた言葉で、異人さん、異邦人つまり外国人のことである。“青い目”と歌われている事から、アメリカ人またはイギリス人と見られる。「偉人さん」でもなければ、「にんじんさん」、「いい爺さん」、「曾爺さん」でもない。漫画『ちびまる子ちゃん』にこれをネタにした話がある。
外部リンク
赤い靴物語さまざまな赤い靴にまつわる作品
「麻布十番未知案内」・・・麻布十番の赤い靴の女の子の「きみちゃん」についていろいろ。
赤い靴の女の子は異人さんの国へ行っていない!?
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◆赤い靴についてピックアップ 歌詞の中に出てくる、「いじんさん」というのは幕末から明治にかけてよく使われた言葉で、異人さん、異邦人つまり外国人のことである。“青い目”と歌われている事から、アメリカ人またはイギリス人と見られる。「偉人さん」でもなければ、「にんじんさん」、「いい爺さん」、「曾爺さん」でもない。漫画『ちびまる子ちゃん』にこれをネタにした話がある。外部リンク 赤い靴物語さまざま... |



